織田信忠による天下統一
織田政権が秀吉によって乗っ取られていく原因になったのは、勿論「本能寺の変」がきっかけでした。しかし、織田家そのものが滅亡したわけではありません。織田家の家督継承者となった秀信(三法師)は秀頼と違って滅ぼされなかったですし、信長の次男信雄、弟の長益(有楽斎)の子孫は徳川政権の中で大名家として生き残っています。もし秀信(三法師)が関ヶ原の戦いの時に西軍に属さなければ、彼の子孫も大名として生き残れた可能性はかなりあると思います。
では「豊臣家存続策を考える」で考えてみたように、織田家を頂点とした政治体制が信長の死後に続く可能性はあったのでしょうか?
私は、その質問の答えは「可能性はあるが、その為には織田信忠が生き残ることが絶対条件」だと思います。
何故そのように思うようになったかは、何回かに分けて語ってみたいと思います。
織田信忠による天下統一(その1) 01/08/17 |
織田信忠による天下統一(その2) 02/04/28 |
織田信忠による天下統一(完結編) 03/04/26 |
03/04/26追記
今後、改訂する可能性もあります(^^ゞ
しかし、今回で完結という事にさせていただきます